豆腐ハンバーグ
神経質症の毎日ごはん
過労では起らぬ
所謂神経衰弱症の容態は、種々様々で頭痛、頭重、頭内朦朧、眩暈、耳鳴、逆上感、不眠、吐気、胃アトニー、四肢冷感、指や瞼の震え、肩凝り、全身の疲労感、気がいらいらして雑念のため勉強出来ぬとか、あるいは赤面恐怖のため人前に出られぬとか、心臓麻痺が恐ろしくて心悸亢進発作のため外出が困難だとか、その他、性的煩悶等、無数である。これ等多数の症状もよく注意して観察すれば、誰にも一つや二つない筈はないことに気がつく筈である。しかし、神経衰弱と思いこんで苦しむ患者は、これ等の症状のほとんど全部が自分にあてはまると考え、これ程苦しい病気はないと悲観するものである。
今日の医学は、身体の過敏性のものが、神経衰弱の症状に苦しむと説明しているが、これは誤りである。身体が過敏性であるからとて、こんな病になるとは限らない。低能児や意志薄弱者の如き呑気でずぼらな者は、病気ではないかと恐れたりすることがないために、身体的には過敏性の素質であっても、神経衰弱にはならないのである。また、精神過労から神経衰弱が起るというけれども、これも正しい見方ではない。
神経衰弱の本態
一体、神経衰弱の本態はどんなものかというに、一口に言えば、これは病気ではなく病感と言うべきである。即ち、主としてその生まれつきの性質であって、物事を酷く気にかけ病を心配する素質の人が、些細な日常普通のことを病的異常と思いこみ、所謂神経衰弱となるのである。病気でないものを、病気として作りあげた病気である。即ち「神経質」という素地があって、それから作りあげた所の煩悶苦痛である。然らば「神経質」とは何かというに、これは酷く物事を気にする素質であって、かかる素質を持前とする人は、自己内省が強く、些細な変化にも深く注意を払うもので、普通の生理的現象を病的異常と誤想して、これを苦に病むのである。意志薄弱者の如き、ずぼらでやり放しの人とは正反対である。また、神経質の者は、自分の意志が弱い、何事も人より劣るといって嘆くのであるが、意志薄弱者は、無頓着で、少しも心配を払う能力がない。
神経質の人は、何かの機会に頭痛を覚えたり、あるいは心配事のために眠れなかったりすると、かかる普通に有り勝ちな僅かな事にもすぐ気がつき、これは何か病気のせいではないかと心配し始める。従って絶えずそのことに注意が引かれ、注意すればする程その感じが強くなり、終には心がそのことに執着し、何かびっくりした場合に動悸が激しくなり、今まで気がつかずにいた心臓に特別に注意を払うようになれば、常に心臓の鼓動を感ずるようになる。こんな具合に、当然の事を異常ではないかと思いこみ、終には病感に捉われてしまう。
神経衰弱には食物の適否なし
しかし、神経衰弱と思いこんでいる人は、病気でないといわれても、何か病が潜んでいて、医者の見落しに違いないと取越苦労をする。普通の人は、病気でないといわれれば、少し位の苦痛は忍んで、自分のなすべき仕事や勉強をつづけている中に、何時しか苦しみを忘れてしまう。しかし、神経質の人は、病気ではないから安心せよといわれても、その中に何とかなるだろう位で、過すことが出来ない。而して種々の治療法に迷って、無益の苦痛をなめさせられるのである。
所謂神経衰弱の治療にあたって、医者が、そんなことは心配せずに、もっと気を大きく持って呑気にやる様になどというが、元来、神経質は些細な事を気に病む性質から、色々複雑な症状に捉われ悩むもので、かかる気の細かい者に対して、気にするなとか、気を大きく持てとかいうのは本末を誤った論理であって、気が大きくなれぬために、患者は益々悲観煩悶をなすに至るのである。気を大きく持てというのは、どうでもよい、ずぼらになれというようなもので、神経質のように注意深い人には、こんなことが出来るものではない。無頓着、大ざっぱになれぬのが、神経質の特長である。患者の訴えに対して、こんな食物はよいとか、わるいとかいっても、患者の治療の実際に当面すれば、かかることは、何等の意味なきことを、医者も患者もすぐ知るであろう。どんな食物でも、度を過せば有害となることは当然すぎることである。刺激性の食物は避けよなどということも、机上の空論で普通人と同様の生活をなすにある。
所謂神経衰弱というものは、実際は神経質の素地に発した病感であることを知れば、神経衰弱によい食物と悪い食物という問題も、何等の意味なき無用なことである。
病気を気にかけるな
神経質は完全欲が強いために、一度神経衰弱にはこんな食物がよいといわれれば、それに執着してしまう。半熟の鶏卵がよいときいて、40日間も朝昼晩やたらに食べつづけた患者もある。普通の人ならば、2,3日で厭きてしまうであろう。かくの如く、神経質は、徹底的にやらねば気がすまぬ性質であるから、どうしても偏食に陥り易いのである。胃アトニーといって、心窩部がブクブク鳴り、食物が胃に停滞して常に重苦しいという病気がある。この胃アトニーの真正のものは極めて少数で、大部分は神経性のものである。
最近も、十年間悩んだ胃アトニーと反芻癖が40日の入院で、体重は1貫500匁も増加して、全治した例がある。また、6年間、慢性の下痢に悩み、各地の胃腸病院を入院し回った患者が、40日入院で見違える程丈夫になった例もある、何れも、入院当初より普通食を摂らしめたものである。かかる患者は消化不良という恐怖から、何年間も、粥食を少量づつ摂るような有様であり、また軟らかく煮たものの外は一切口にせぬとか、あるいは、液体の摂取量を制限せよといわれれば、徹底的にこれを守るという訳で、偏食の結果少しも胃腸を刺激してその活動を促すことが出来ない。これでは到底、食欲も出なければ消化や栄養も完全に行われる筈がない。誤れる養生法のために痩せるのも当然と思われるのであるが、医者も神経性ということに注意を払わず、徒に物質医学にたよって、患者の訴える症状の除去にのみ夢中となり、その病人の全体を見ることを忘れてしまうのである。
あるいはまた、時計の音に一度気が付き、これを聴くまいと焦れば焦る程、耳にうるさく聴こえてくる。聴こえてくるものは、じっと聴きいっているよりほか、仕方はないのである。絶えず時計の音に聴きいっていれば、何時しか聴こえなくなるものである。
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